サプライズピッツァ

 僕は超がつくほどに物忘れがひどい。しかし、超が2個付くほどに心配症なのでかろうじて忘れ物をせずに済んでいる。

 忘れっぽいことは日常に支障をきたし、良いことは何もないように一見思えるが、実は1つだけ良いことがある。それが「サプライズピッツァ」である。

 これを読んでいる人の中にはサプライズピッツァが何かわからない無学な人もいるかもしれないので、ここで説明しておく。

 

 

 僕は唐突に宅配ピザを食べたくなることがある。食欲には嘘をつけないので、すぐに宅配ピザの注文サイトを開くのだが、宅配ピザは面白いことに1枚買うより2枚買った方がお得なのである。

 しかし、これまた面白いことに、小食な成人男性にとってピザ2枚は多すぎるのである。せいぜい食べれて1枚半だ。

 ありがたいことに人類は冷蔵庫なるものを発明しているので、余った分は冷蔵庫で保存し、心地よい満腹感に包まれながら眠りにつくことができる。

 翌朝、忘れっぽい僕の脳内からは完全にピザの存在が消え去っている。存在どころか概念までも忘却の彼方に行ってしまっている。

 何か飲み物を飲もうと思い冷蔵庫を開けると、そこには「PIZZA」の文字が。

「ピ......ザ......?」

 おもむろに冷蔵庫から取り出し、箱を開けてみると、そこにはなにやら怪しげな食べ物がある。トマトソースとチーズのかほり。

 謎の食べ物を口に運んだ瞬間、そこにはイタリア・ミラノの風景が広がる。

「これがピザ、いや、ピッツァというものか」

 人類とピッツァの邂逅の瞬間だ。

 

 

 以上がサプライズピッツァの全貌である。ちなみに「サプライズケンタ」というのもある。ピッツァがケンタッキーになっただけだ。

歯医者で辱められた話

    大学一年生の頃、奥歯が欠けた。家でアホ面しながらウォーキング・デッドを観ていたときのことだ。

    最初は口に異物が入っただけかと思ったが、舌で歯を一つひとつ念入りに確認していくと、左の奥歯が欠けていた。

    生憎歯が欠けた経験がない僕は不安になり、三四郎のDVD『一九八三 〜進化〜』に収録されている、小宮が前歯を治す企画を観た。うっかり相田がキサラに出演する企画も観てしまった。

 

    まずは現状確認をしなければ、と思いスマホを口に突っ込み写真を撮ることにした。しかし皆さんは知らないかもしれないが、スマホっていうのは人の口に突っ込んで写真を撮るように作られていない。

    口の中は暗いためフラッシュを焚くが、フラッシュが強すぎてキレイに映らなかったり、そもそも撮りたい箇所が撮れなかったりする。

    なんやかんやで2時間かけて写真の撮影に成功した。サバンナの草食動物を撮影するくらい時間がかかってしまった。

    ようやく確認してみると、やはり欠けていた。上京してから1度も歯医者にかかったことがないため、すぐさま歯医者を探し、とりあえず近くの歯医者に行くことにした。

    そこはネット予約ができるところで、ホームページのフォームから予約ができる。フォームには日時や名前を入力する欄に加え、症状を入力する欄もあった。そこで僕は、「スマホで撮影したところ、奥歯が欠けているようです」と入力し、予約申請をした。

 

    予約した当日、歯医者に向かった。家から歩いて30秒のところにあったので、直前まで歯を磨きに磨いた。コンパウンドで鏡面磨きでもしそうな勢いで磨いた。

    歯医者につくと、そこは明らかに子ども用の歯医者だった。キッズスペースも完備され、内装もうさぎさんやきりんさんの絵が描かれている。19歳184cmの男の子にはどうしても似つかわしくない。

    今更予約をキャンセルするわけにもいかず、受付を済ませすぐに治療室へ通された。きりんさんに勇気をもらいながら待っていると、歯科医が現れた。

スマホで写真撮ったんだ(笑)」

    開口一番こんなことを言われ、僕は辱めを受けた。僕が2時間かけた作品を馬鹿にされたのだ。嘲笑されたのだ。(笑)が文字になって見えた気がした。ここはワギャンランドでも、先生がコエカタマリンを飲んだわけでもないのに。

    ここから僕の心にポッカリ穴が空き、虚ろな目をして治療を受けた。きりんさんもコチラをみて嘲笑っている。

    実際、歯が欠けたというよりは詰め物が取れただけだったらしく、新しく詰め物をするだけで終わった。

 

    その翌日、新しく入れた詰め物が取れた。それ以来僕は一度も歯医者に行っていない。ポッカリ穴が空いたのは心ではなく歯の方だったのだ。

好きなYouTuber

    僕はいわゆる"YouTuber"をみない。しかし全くというわけではなく、料理系のYouTuberと韓国のcafe vlogだけみている。

    ある時、いつものように料理系YouTuberの動画をクリックすると、なんだかよくわからない挨拶から始まった。すぐに僕は動画を止めチャンネル登録を解除した。

    僕はYouTuber特有の挨拶に途轍もない違和感を感じる。おそらくその内輪に入れないからだと思う。その独特な挨拶に馴染めなかった瞬間、内輪から締め出される。

    僕の許せるYouTuberの挨拶の限界は「おはこんばんちわ」まで。それでも僕の違和感タンクの許容量ギリギリ。表面張力に感謝してほしい。

 

    これは僕の持論だけど、世の中のエンタメはすべて内輪ネタだと思っている。その内輪が大きいか小さいかの違いしかない。

    僕がインターネットに吐き捨てた痰のようなこの駄文も、内輪にはウケるだろうし、外野からしたらただの痰壷にしかみえないだろう。

    だから悪いと言っているわけではなく、お互い干渉しないようにすればいいだけ。そのために僕はYouTubeの国設定をアメリカにし、アメリカの急上昇動画をみている。一度インドにしたことがあったが、よくわからん言語すぎてノイローゼになりかけたのでやめた。

 

    そんな僕でも不変的に好きなYouTuberがこちらです。

www.youtube.com

キムチ鍋研究家の僕が考えた最強のレシピ

    どうも、キムチ鍋研究家です。

    最近少しずつ暖かくなってはきていますが、まだまだ寒い日が続きます。そんなときにはやはり鍋が食べたくなります。辛いキムチ鍋を食べて芯から温まりましょう。毎日キムチ鍋を食べている僕は、ついに最強のキムチ鍋のレシピを考案しました。是非参考にしてください。

 

    まず、鍋に300mlの水を入れ、そこにエバラキムチ鍋の素を大さじ3入れます。辛いのが苦手なケツの青いガキは水だけにしとけ。

    次に、火にかける前にお好きなキノコをたっぷり入れます。僕はいつも椎茸、えのき、しめじを大量に買って冷凍しているので、それらを凍ったままぶち込んでいます。キノコは1度冷凍したほうが旨味が出やすくなるらしいのでおすすめです。キノコが苦手なケツの青いガキは何も入れずに正座して待っとけ。

    そこへオイスターソースをひとまわし、醤油、酒、みりんもちょろっと入れます。正直酒を入れる意味は何にもないですが、みりんは甘みが出るので、辛いのが苦手な僕にはピッタリです。

    ここで火にかけ、頃合いを見て豚肉を入れます。豚肉には疲労回復に役立つビタミンB1がたくさん入っています。ただ、茹でると栄養が半分ほどに減ってしまうらしいので、毎日外で遊んでばかりいて疲れが溜まっているケツの青いガキは生で食え。

    最後に食材に火が通ったら火を止め、隠し味に味噌を大さじ1ほど入れれば完成です。これがこのレシピのミソです。この高度なギャグセンスをまだ理解できないケツの青いガキは調味料何も入れずに気をつけして見とけ。

 

    これはマジで美味いのでぜひ作ってみてください。美味すぎて飛びます。ケツの青いガキは糞して寝な。

創作家庭料理ってなによ

    僕の家から最寄り駅までの道沿いに「創作家庭料理」のお店がある。普段何も気にせず通っているが、ある時1つの疑問が浮かんだ。

「創作家庭料理ってなによ」

 

    まず、「創作」はどこにかかった言葉なのかが問題だ。一般的に考えれば「(家庭)料理」にかかっていると考えるのが妥当だろう。この場合もおかしな点があるのだが、とりあえずここでは置いておく。

    もし、「創作」が「家庭」にかかっていたとしたらどうだろう。「創作家庭料理」はたちまち「"創作家庭"料理」になってしまう。

    "創作された、架空の"サトウさん家では定番の料理でも出されるのだろうか。だとすれば、"実在する"エンドウさん家の僕はどんな顔して食べればいいのか。気を遣って、普段より美味しそうに食べればいいのか。ご飯をおかわりするときは茶碗に一口残しておく、という至極どうでもいいマナーにまで気を遣わないといけないのか。

 

    まあそんなはずないわけで、普通に「創作された家庭料理」って意味だろう。だとしても、おかしいことに変わりはない。家庭料理なんてのは得てして創作されたものであるからだ。わざわざ創作などと付ける必要がないだろう。

    逆に言えば、創作されていない家庭料理とは何者だろうか。ステレオタイプの、もはや出自もわからない、日本食で言うところの味噌汁みたいなものなのか。だが、味噌汁だって創作されたものだろう。

    例えば、僕の祖母は味噌汁に卵をいれる。僕はそれがあまり好きではなかったが、僕個人の嗜好一つで祖母を悲しませるわけにはいかないから、我慢して食べていた。

    おそらく、これを読んでいる人の中には味噌汁に卵を入れるという考えが全くない人もいるだろう。だがその分、僕には到底辿り着けない奇妙奇天烈な食材を味噌汁に入れているはずだ。納得行かない人は土井善晴氏のTwitterを参照されたし。

    以上のように、NOT創作家庭料理なんてものはないのだ。森羅万象の家庭料理は創作されたものなのだから。

 

    それならば、果たして件のお店はどんな創作家庭料理を提供してくれるのだろうか。僕なんかが一生をかけて思案を巡らしたところではとても思いつかないような料理を出してくれるのだろうか。

    近いうちに、その全貌を明らかにするため潜入調査をしてきたいと思う。卵入りの味噌汁が出てこないことを願う。

不死

 

    不死には先天的なものと後天的なものがあると思う。ここで問題なのが、先天的な、生まれ持っての不死は、どうやって認知するのだろうか。 死ななければ不死と言えるだろうが、そもそも死なないのだから確認はできない。例え長寿の世界記録を超えたとしても、それは単純に人よりもちょこっとだけ長生きできるだけかもしれない。

    これは後天的なものにも言える。例えば、神龍に「永遠の命をくれ」なんて言ったとしても、果たして本当に永遠の命を手にしたかはわからない。そんな不確定なものを頼むくらいなら「ギャルのパンティおくれーっ!」なんて言ったほうが利口だ。

 

    あれは確か小学生のときに読んだ手塚治虫火の鳥だったかで、不死になると身近な人の死を見なければいけなくなる、なんてことが書いてあった。たしかにその辛さもあるだろうが、それ以上に明日自分が死ぬかもしれないことへの恐怖のほうが大きい気がする。まるで刑の執行を待つ死刑囚のように。

    身近な人の死なんて、身近な人を作らなければいい話だけど、自分の死からは逃れられない。

    「明日こそ死ぬかもな〜」なんて思いながら生きていくのはどんな気分なんだろうか。それは今も一緒か。

 

    美味しんぼのそばがき食べる回で山岡さんがこんなことを言っていた。

「人間は必ず死ぬ。死ぬから人間は尊いんだ……」

    この理論で言えば、不死の人間は尊くないことになる。尊いか尊くないかはわからんけど、やっぱり終わりがある方がいいんだろうな。

 

    じゃあ、自分が不死になってしまったらどうすればよいのか。それこそ神龍にでも頼んで「死ねるようにしてください」って頼んでみるか。いや、そんな不確定なこと頼むくらいならギャルのパンティ頼んだほうがマシか。

ぼくのバンコク2人旅②

    昨年の夏にタイに旅行に行った際、タイ古式マッサージを受けに行くことにした。

    どこがいいのかわからなかったので、フロントのナオヤにおすすめのマッサージ屋を聞いたところ、すごいニヤニヤした顔でコチラを見てくる。慌てて僕は「Traditional!!!」と弁明したが、依然ニヤニヤしたままだった。

    結局有用な情報は得られなかったので、ネットで調べたところ、プロンポンというところに有名なタイ古式マッサージ屋があるようだった。

    早速フロントのナオヤにプロンポン行きのタクシーを呼んでもらうように頼んだのだが、そのときもナオヤは心なしかニヤニヤしていた。

    これはあとから知ったことなのだが、プロンポンはバンコク有数の風俗街らしい。

 

    マッサージ屋はかなり有名な店らしく、日本の有名人のサインがところ狭しと飾ってあった。ありすぎて誰のサインがあったか忘れてしまったけど、銀シャリの鰻のサインがあったことだけは何故か鮮明に覚えている。

    マッサージはいくつかコースがあるのだが、僕は足つぼと全身マッサージ90分コースを選んだ。

    先に足つぼをやってもらい、その後2階の個室で全身マッサージをしてもらう。

    僕は普段寝てばかりいる人間なので、大して身体は凝っていない。だからなのか、マッサージがものすごく痛かった。

    「これが本場のマッサージなのか」なんて感心していると、仰向けの体制になるように指示された。

    仰向けになり、太もも周りのマッサージをしてもらっていると、マッサージ師のおばさんが股間のあたりで手を止めた。

    僕はそもそも日本でもこういうお店に来たことが無かったので、マッサージとはそういうものだと思っていたが、さすがに止まっている時間が長い。

    不審に思いおばさんの方を見ると、おばさんが優しい声で「Relax.....」と囁いてきた。

 

    タイに来る前に、タイのマッサージ屋はどこに行ってもエロいことに誘ってくる、という事前情報を得ていた僕はパニックになった。

    にわかには信じ難い噂だったが、まさか本当だったとは。

    僕は慌てて「No! No! No!」と必死に断り、普通のマッサージをしてもらうように促した。おばさんの悲しそうな顔が脳裏に焼き付いている。

 

    とりあえず事なきを得ることができ、タクシーでホテルまで帰った。フロントにはもうナオヤがいなくなっており、別の人になっていた。

    おそらくナオヤもプロンポンの街に消えたのだろう。