不死

 

    不死には先天的なものと後天的なものがあると思う。ここで問題なのが、先天的な、生まれ持っての不死は、どうやって認知するのだろうか。 死ななければ不死と言えるだろうが、そもそも死なないのだから確認はできない。例え長寿の世界記録を超えたとしても、それは単純に人よりもちょこっとだけ長生きできるだけかもしれない。

    これは後天的なものにも言える。例えば、神龍に「永遠の命をくれ」なんて言ったとしても、果たして本当に永遠の命を手にしたかはわからない。そんな不確定なものを頼むくらいなら「ギャルのパンティおくれーっ!」なんて言ったほうが利口だ。

 

    あれは確か小学生のときに読んだ手塚治虫火の鳥だったかで、不死になると身近な人の死を見なければいけなくなる、なんてことが書いてあった。たしかにその辛さもあるだろうが、それ以上に明日自分が死ぬかもしれないことへの恐怖のほうが大きい気がする。まるで刑の執行を待つ死刑囚のように。

    身近な人の死なんて、身近な人を作らなければいい話だけど、自分の死からは逃れられない。

    「明日こそ死ぬかもな〜」なんて思いながら生きていくのはどんな気分なんだろうか。それは今も一緒か。

 

    美味しんぼのそばがき食べる回で山岡さんがこんなことを言っていた。

「人間は必ず死ぬ。死ぬから人間は尊いんだ……」

    この理論で言えば、不死の人間は尊くないことになる。尊いか尊くないかはわからんけど、やっぱり終わりがある方がいいんだろうな。

 

    じゃあ、自分が不死になってしまったらどうすればよいのか。それこそ神龍にでも頼んで「死ねるようにしてください」って頼んでみるか。いや、そんな不確定なこと頼むくらいならギャルのパンティ頼んだほうがマシか。