呪われた三年間

小学4年から6年の間に三親等親族が年1ペースで死んだ。当時の僕は、呪われていると思ってた。

この3年間で得た経験が、僕の人格(死生観)の9割を形成している。

 

それまで身内の不幸はなく葬式に行ったことも無かった僕は、小4のときの父方の曾祖母の死が、人生初の『死』を身近に感じる経験だった。

曾祖母は、僕が物心ついたときにはよくわからん施設に入っていて、ほとんど会ったことはなかった。それに、100歳を超えて亡くなったため、大往生と言える最期だった。親族内にもそういう雰囲気が流れていたので、僕も正直そんなに悲しくなかった。「あんま知らん人が死んだな」くらいにしか思ってなかった。

 

次に死んだのが祖父。前述した曾祖母の息子に当たる。

祖父とは、盆と正月になると会う程度だった。いつもビッグマンを飲んでた印象しかない。空きボトルにパンパンになるまで1円玉を貯めていた。それを僕にくれたときは、なんとも言えない感情を覚えた。

そんな祖父は食道がんで長く入院していた。何度かお見舞いに行ったが、あんまりお見舞いが好きじゃなかった。当時は若干の反抗期も入っていたのか、なんだか気恥しかった。会うたびに「男爵(いも)」と、坊主頭の僕を呼ぶのも嫌だった。

けど、そのうち体に繋がれた管も増えていって、「男爵」とも呼ばれなくなった。

曾祖母よりは身近だった祖父が亡くなると、流石に悲しかった。周りの親族もそんな感じだった。でも、何故か涙は出なかった。みんなは泣いてたから、僕も泣いたほうがいいのかな? と思って泣こうと頑張ったけど、無理だった。

あと、火葬場で食べた弁当に入っていた菜の花の和え物がめちゃくちゃ美味かった。まだ生きてる爺さん婆さん共からせしめてまで食った。

 

その翌年の春に死んだのが父親。たしか40歳とかだったはず。

これで父方全滅。この流れで自分も死ぬんじゃねえか? と思った。

父は決して健康と呼べるような生活は送っていなかったけど、命に関わる病気はなかった。強いて言うなら、バセドウ病だった。バセドウ病が何か知らんけど、ワカメを食べたら動けなくなるって言ってた。ちょっと見てみたかった。

父は会社の研修旅行先で、心筋梗塞で死んだ。朝風呂に入った直後だったらしい。

研修旅行に行く当日、朝早くに父が家を出た。母が僕を父の見送りに呼んだが、思春期の僕は父に会うのが嫌で、寝たふりをしていた。それが父親の最後の記憶。

流石にこれはめちゃ泣いた。動かなくなった父の頬を突くと、とても人間とは思えない固さをしていた。コナンでしか見たことのない死後硬直だった。これが死ぬってことなんだと感じた。

葬儀は家族葬を望んだけど、父の会社の人の強い勧めで一般葬になった。とんでもない人数が参列してくれた。会社の先輩後輩同期、学生時代の先輩後輩同期、めちゃ来た。

僕の知らないところで、父は人望が厚かったらしい。

葬儀の最中、いとこ(父の弟の息子)が残された叔父に対して「一人っきりになっちゃったね」と言っていた。こいつとんでもないこと言ってんな、と思った。ガキの無邪気さには驚いた。だけどすぐに叔母が「私達がいるから一人じゃないでしょ」と言っていた。家族っていいな、と思った。

火葬場が一番辛いとよく言うけど、まさにその通りだった。ただ、一つだけ気がかりだったのは、ずっと葬儀を手伝ってくれていた会社の若い人が火葬場で手を合す際、小指がない事に気づいたこと。

 

そこからなんやかんやあって、今の僕が形成された。そのなんやかんやは気が向けば書く。そこから立ち直った話とか、妹の小学校の入学式のこととか、父親が遺した大人のビデオの話とか。

今はもうなんてことないけど、たまに夢に父親が出てくるときがある。夜たまに思い出して泣くこともある。

肉親を早くに亡くした人は、そのストレスから若くしてハゲると言われた。泣ける。

 

呪われた3年間から今年で十年が経つ。呪いがいつまで有効なのかが気になるところだ。