小さい頃、親は絶対だった。親がダメといったものはダメだし、良いといったものは良い。親の言動は全て間違っていなかった。と思っていた。

大学への進学に伴って上京し、一人暮らしを始めた。アルバイトもしたし、ほんの少しだけど社会経験を積んだ。

すると、親の間違いに気づき始めた。絶対だと思ってたものが絶対ではなかった。親も自分と同じ人間だということに気づいた。間違うときは間違うし、理不尽なときは理不尽だった。

それに気づいたとき、なんだか無性に悲しくなった。

もちろん今でも家族仲は良好だし、尊敬している。「尊敬している人を二人挙げてください」と言われたら、迷わず父と母を挙げるし、「尊敬している人を三人挙げてください」と言われたら、迷わず父と母とハライチ岩井勇気さんと答える。

これはどこの家庭の親にも言えるのかもしれない。子どもは皆、親の不完全性に気づき、そして超えていくのかもしれない。これは太古から続く輪廻の一部に過ぎないのだ。

僕もいずれは不完全な親になり、そして超えられるときが来るのだろう。僕のターンが廻ってきただけなのだ。

 

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