〇〇日後に麦茶になる僕
麦茶が好きだ。
日に3リットルは飲むくらいに好きだ。
毎年夏になるにつれて麦茶の摂取量が増える。2リットルの冷水筒に麦茶を作るのだが、それでも生産が追いつかない。
これだけ麦茶を飲んでいると、自然発生的に、ある不安の波が押し寄せてくる。
「体中の液体がすべて麦茶に置換されてしまうのではないか」
成人男性の場合、60%ほどが水分だと言われている。つまり、僕は体重が70キロ前後なので、体内の水分量は約42リットルと言える。
そして、1日に少なくとも2300ミリリットルは体から水分が排出されているらしい。
ということは、僕はこのまま麦茶を飲み続ければ、長くても約18日後には体内の水分がすべて麦茶になるのである。
麦茶好きとしては願ってもいないが、体中の機能がうまく作用しなくなってしまうのはちょいと困る。
血液が麦茶に置換されてしまうと、一度出血もとい出麦茶を伴う怪我をしてしまえば、止血もとい止麦茶ができず、麦茶垂れ流し人間になってしまう。麦茶垂れ流し人間にはできればなりたくないものである。
第一に、麦茶になっては体中に栄養素や酸素を送ることができない。
飲めばあんなに美味しい麦茶も、体内では無益極まりない。むしろ有害とも言える愚図だ。愚図茶とも言える。
僕はなぜ愚図茶をこんなにもありがたがって飲んでいたのだろうか。
これはひとえにプロモーションの巧みさにあるのやもしれない。
他の飲料が減量傾向にある中、鶴瓶を冠するこの麦茶は増量傾向にある。それなのに、そこを大きく打ち出しているわけでもない。しれっと増量しているのだ。
僕はそこに日本独特の奥ゆかしさのようなものを感じた。
ボースティングも悪くはないが、やはり個人的にはこういったさり気ない進化に心打たれてしまう。
こんな巧妙な手口は裏に大きな広告代理店でもついているに違いない。これが所謂「博報堂案件」というやつか。
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