ゼロ倍理論

人間いずれは必ず死ぬわけで。そうなるとそれまでに積み上げてきたものは全て無に帰すわけで。年収、資産、ステータス、評価、全て無に帰すわけで。つまり、人生の最後には ×0 が待っているわけで。

どんなに頑張っても、はたまた頑張らなくても、結末は一緒。

僕は、人生は死ぬまでの暇つぶしでしかないと思っているから、何かを頑張ろうとか、何かを成し遂げようとか、全く思えない。楽しいことしかしたくないよ。

頑張っている人はすごいと思うけど、すごいのは頑張っているからではなくて、どうせゼロになるのに頑張っているのがすごい。

だからといって、僕だって頑張るときは頑張るし、常に何者かになりたいと思ってる。こういう所が不完全。

もし、川へ洗濯しにいって、川上から大きなチャンスが流れてきたら、迷わず家に持って帰って爺さんとチャンスを掴む。けど、鬼ヶ島にチャンスがあっても、わざわざ苦労してまで畜生連れて鬼ヶ島には行かない。

怒ってる人を見ると笑ってしまうのは、「どうせみんな死ぬのに、なに必死になってんだコイツ」と思ってしまうから。だから自分も、生まれてこの方誰かに怒ったことは一度もない。まず怒り方がわからない。

いついつに人類が滅亡します、なんて予言がしばしば話題になるけど、それを見るといつも「本当に人類滅亡しねえかな」と思ってる。

死ぬことは怖くない。痛いのは怖い。

ただ、自殺願望は全くない。今の生活に満足しているし、どうせ死ぬんだから、わざわざ自分で死ぬ必要もない。死ぬのもめんどくさい。死なないから生きてる。

でも、実際自分が死を目前にしたら、めちゃくちゃ足掻くだろうな、とも思う。「死とは何か/シェリー・ケーガン」で剥奪説というのが書かれていたけど、まさに、死ななければ享受できたであろう幸福を剥奪されることに後悔を感じるだろうな。

 

僕のこの考え方を変える唯一の手段は、家庭を持つことしかないと思ってる。

「そして、バトンは渡された/瀬尾まいこ」で、子どもを持つと自分の人生の未来が2つに増える、みたいなことが書かれていたけど、これこそが僕の考えを変えてくれるだろうな。

妻や子どもを持ち、誰かのために生きるようになれば、流石に考え方を改めるだろうな。

高校生のとき友達に「親の為に結婚しそう」と言われたことを思い出す。否定できない。もちろん、好きで結婚するのだろうけど。

 

煽りではなく、この考え方に反論できる人は是非お願いします。僕に考えを改めさせてください。もしくは、結婚相手をあてがってください。

 

 

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